2012-08

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芸術新潮 2012年9月号 - 2012.08.31 Fri



永遠のイスタンブール特集となっています。

ビザンティン帝国時代の遺産が残るイスタンブール
ゴシック聖堂では、
建物の外側を大理石で飾り、
彫刻で飾り、
針葉樹のように尖った塔を空に伸ばす
というふうに外観のシンボリズムを重視するが
ビザンティン建築は外観をあまり気にせず、
外観は煉瓦が剥き出しのままにして
内側をモザイクやフレスコで飾ることに
意識を集中したそうです。

アヤソフィア博物館のモザイクの写真が
掲載されているのですが
モザイクの一片、一片が美しいです。
とても細かいテッセラ(モザイクを構成するガラス片)
がふんだんに使われているそうです。
顏のところなどは数ミリくらいのテッセラを
ていねいに並べ、
立体感まで表されている。
モザイクによる描写はざっくりと
単純で平面的なのが持ち味なので
モザイクが目指す方向性としては
むしろ逆行してるともいえるとのこと。

トプカプ宮殿の「正義の塔」からの眺め。
ハレムの鉛張りの屋根が連なる。
トプカプ宮殿の糸杉を描いたタイル装飾。
内装にはイズニック産のタイルがふんだんに
用いられているそうです。

イスタンブールで生まれ育った
オルハン・パムクの長編エッセイには
『イスタンブール 思い出とこの町』
には、ボスフォラス海峡の発見と題する一章がある。
そのボスフォラス海峡は
古来、アジアとヨーロッパの境界とされ
交通の要衝であったとのこと。
イスタンブールは
旧市街の範囲をはるかに超え
ヨーロッパ側市街と
アジア側街区をも包摂する巨大都市として
成長することに。
二つの大陸にまたがる唯一の町と形容されるようになる。
「イスタンブールの魂と力はボスフォラス海峡からくる」
とオルハン・パムクは言う。


イスラムの書道や
現在のトルコのトップデザイナーのインタビュー、
キリムという平織りのウールの敷物、
イスタンブールの料理の写真やレストランも掲載されていて
イスタンブールを旅する一冊です。

ひとやすみにデビッド・リンチの黒夢のリトグラフの
掲載されたページもあったのでどうぞ♪




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『西洋哲学史3』 ポスト・モダンのまえに 講談社選書メチエ - 2012.08.30 Thu

残暑が続く毎日ですが
いかがお過ごしですか。
読書の秋にふさわしい涼やかさに
早くなりますように。


『西洋哲学史3』を読みました。
熊野純彦氏の序論にはじまり、
5人の執筆者の方々がそれぞれに
論考したものが収載されています。

「ホッブズとスピノザ」われわれは自分の外にいる 上野修氏

二人が重なるテーマは国家論であるということから
二人の哲学の共通する特徴をあらわし、
しかも両者の国家論の違いがはっきりするような
キーワードが必要となるということで
「われわれは自分の外にいる」を選んだとある。

われわれは自分が思っているところにでなく自分の外にいる。
十七世紀を考えるとき、
デカルトに続く彼らの哲学的寄与はこの啓示に
存するとさえ私は見ていると上野氏は述べている。

トマス・ホップズ(1588-1679)はイングランドの哲学者。
『リヴァイアサン』の著者である。
清教徒革命から王政復古にかけての内乱期を生きた。

バルーフ・デ・スピノザ(1633-1677)。
オランダ共和国アムステルダムに生まれた
ポルトガル系ユダヤ人。
長じてユダヤ教団から破門されている。
『エチカ』の著者。
親子ほど歳が離れているが、
活動時期からみるとほぼ同時代とのこと。

十七世紀は「理性の世紀」と称されるが、
この「理性」という言葉は数学に親和的である。
ホッブズもスピノザも哲学するのは理性である。
自らの教養よりあえて科学や幾何学のほうを好む。

ホッブズ―われわれはしるしを読まれる物体である
ホッブズは自分の哲学の対象を「物体」と呼んでいた。
人間も、そして国家も物体なのである。
ホッブズは推論を「計算」と考えていた。
三段論法も仮言三段論法で考える。
「もし何かが人間ならそれはまた生き物でもある」。
しかるに
「もし何かが生き物ならそれはまた物体でもある」。
ゆえに
「もし何かが人間ならそれはまた物体でもある」。
事実の観察からでなく人間、生き物、物体という名前の
外延計算から必然的にそうなる。

思考そのものの外在性。
言葉は書かれたり話されたりする共用の物質的な記号なので
人間の思考は他人に
伝達されて理解され、
記録され、
保管され、
時空を隔てて当人から独立に再現することにすらできる。
この意味で人間の場合、
思考の存在は外在的である。


スピノザの哲学についても述べられ
その後、二人の哲学者の
国家論の違いへと
上野氏の論考は続いています。
執筆者の方々の論考を通じて
哲学を学ぶ。
執筆者の方々のその哲学者に対する着目する部分を通して
哲学を学べるので、
個性的な内容で面白く読むことができます。
他の巻数のものも読みたくなります。






名建築の美術館、博物館 - 2012.08.28 Tue

東京国立博物館法隆寺宝物館
竣工年 1999年 
設計  谷口吉生、谷口建築設計研究所

上野の東京国立博物館敷地内にあります。
建築家の谷口吉生氏は水の使用を得意とするそうで、
前庭には広い水盤が有り、
噴水によって描かれる水紋がファサードのガラスに映し出され、
映像のような効果を生んでいるそうです。

法隆寺伝来の金銅仏、伎楽面、染織などの宝物が
展示されています。
300件以上の所蔵品の約八割は国宝と重要文化財です。
それらを保存し、展示するために、
免震装置を備えた展示ケースも
建築家自らが設計したそうです。
七世紀の金銅仏の多くは一体ずつ
縦長の展示ケースに収められています。
ケースは七列に整然と並んでいます。


原美術館
竣工年 1938年
設計  渡辺仁


北品川の御殿山にあり
昭和初期の洋館を改装したモダンな建物です。
1938年に実業家・原邦造の邸宅として
渡辺仁氏に設計され、直線と円弧を用いた
ヨーロッパ・モダニズム様式を取り入れています。
邸宅は竣工後わずかな期間しか使用されず、
第二次世界大戦後は進駐軍に接収されたそうです。
その後、建物の取り壊しを決めたが、
造りがひじょうに頑丈であったために
一部を除いて断念したとのこと。

孫の原俊夫館長が、1979年に美術館として
オープンしました。
館長の曾祖父にあたる原六郎は、
古美術の蒐集で有名だが、
今は現代アートをコレクションし、
若手アーティストを支援しているそうです。
階段付近にある、
展示に不向きな狭いスペースを生かして
常設展示を行っているのが特徴。


建築を見に行くことも
美術館に行くことの楽しみのひとつでもあります。
東京国立博物館法隆寺宝物館は
宝石のショーケースのように
仏像のショーケースが並び
クールな仏像が見られます。
展示の仕方も魅力的です。
空いている時間に行くと幻想的な
空間をより楽しむことが出来ます。

原美術館は個人邸なので
天井がそれほど高くない部屋の中に
美術品が展示されているのが
広々とした空間で見る展示とは
また違う良さを見つけられます。
中庭の芝生の緑も美術の展示といえるかもしれません。





縞物の美学 - 2012.08.27 Mon




没落しかかった芸者置屋に
女中として住みこんだ主人公は
花柳界の風習や芸者たちの生態を
台所の裏側から観察し、
華やかな生活の裏に流れる
哀しさやはかなさ、
浮き沈みの激しさを
描いている。

この本は幸田文の本を読みたいと思い
選んでいた時に
この表紙の「縞」に惹かれて選んだ。


「縞物」は室町時代から江戸時代を通じて珍重され、
中国・明の船や南蛮船で運ばれてきた渡来の織物だった
と以前に読んだ『装飾する魂』に書いてあった。
「縞」とは「島」、
つまり島渡り(舶載品)のことで、
中世日本では「筋」や「隔子」と呼ばれていた
平行線や格子の文様が、
そのときから新しい名を得たのである、とのこと。

平安貴族は縞柄を好まなかったから、
有職織物に縞はほとんど登場しない。
室町時代に明から「間道」が
桃山時代にインドや南方諸国から「唐桟」が
もたらされたとき
それらのシンプルで美しい経縞柄(たてしまがら)は
まさに日本人にとって刺激的な文様であったらしい。
それまでの日本には定着していなかった
木綿という素材の優しい肌触りとカラフルな色。
エキゾティシズムをそそるたくさんの要素が
「縞」に織り込まれていたのである。

その縞柄の美しさにまっ先に目をつけ、
名物裂として茶入れの仕覆などに珍重した
茶人たちがいればこそ、
縞が世で普遍的な価値をもつことになった、とのこと。
その単純明快な線の抽象が侘数寄の美学に合致した。
装飾過多な貴族的意匠の伝統を引きずってきた
日本の飾りの美学のなかに、
初めて立ち現れた簡潔な「縞」は
豪華絢爛の名物揃いの茶を味わい尽くした果てに達する、
無一物の境地(『南方録』)と引き合ったかもしれないと。

この「縞物の美学」は、
江戸になり裾野が広がって
町人文化の「いき」に育っていった。
「光ある物」に届かない庶民、
心意気だけが生命の町民は、
彼らの意気地を映し出す
表象にしたのだった。

意気/意気地とは、
他者とくに異性に対して媚態をみせつつもなお
「一種の反抗を示す強みをもった意識」なのだ。
と、九鬼周造は『「いき」の構造』で説明している。
「縞」は「いき」を表す最高の芸術(造形)表現であると。

「永遠に動きつつ永遠に交わらざる平行線」
一方の線と他方の線との間に生じる距離の緊張。
からだの線を出して、縞を着た女性が、
しなをつくる。
そのとき着物の縞がはんなりと曲がる。
女性の「いき」を縞は目の前にあざやかに視覚化していると。


幸田文の『流れる』は「いきな女性」の話しであるとも
いえるのかもしれない。



『女坂』   円地文子 著    新潮文庫 - 2012.08.26 Sun



女、男、桜、その言葉だけでもイメージが広がるが
坂をつけるだけで人生の苦楽を思わせる言葉になるように思う。
坂は人が行き交い、すれ違い、一歩登るごとに、
その都度
振り返ると違う情景が広がっている。
坂を登らなければ見えない景色というものがある。
どんなに急な坂でも登りきった時に
見える景色の清々しさを信じて登る。
決して坂を下ってはならないのである。

この小説に描かれている女性たちは
皆、自分の人生に覚悟を持ち
自分自身の業のようなものを
胸に抱えながらも
人生を生き抜く強さがある。

『女坂』に書かれている女性を不幸だと思うことは
この小説のなかに女性を描いた
作者にも、そして文中の女性たちにも
失礼になるのである。



ほおずき - 2012.08.23 Thu

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。
私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました。~」
夏目漱石の『こころ』にもでてくる
こんにゃくえんま。
先月、ほおずき市が源覚寺(こんにゃく閻魔堂)であったので行ってきた。
そこで目利きの女性の方にたくさんあった鉢の中から選んで頂き
買ったほおずきが赤く実をつけている。
ほおずきは秋の季語とのこと。

最寄りの駅への途中、
源覚寺の近くにある古書店に寄った。
文京区の古書店街について調べてみた。
「文の京(ふみのみやこ)」と呼ばれる、
文京区における学問の歴史は非常に古く水戸藩主、
徳川光圀公(水戸黄門)の命により、
小石川の水戸藩邸に置かれた彰考館では歴史書『大日本史』の編纂が行われ、
彰考館が水戸に移された後も編纂事業は続けられ全397巻の完成には、
明治39年まで250年の歳月を要しました。
また、湯島の昌平坂学問所では多くの幕臣や他藩士の子弟等が学び、
明治を迎えると昌平坂学問所の系譜は東京大学へと引継がれていきました。

現在本郷古書店街の有る本郷六丁目(旧森川町)辺りは江戸時代、
徳川四天王と呼ばれた本多平八郎忠勝公を藩祖とする岡崎藩本多邸が有り、
明治以降は森川町となり、
東京大学(旧東京帝国大学)の近くである事から
数多くの古書店が営業を行い本郷古書店街ができました。』とある。

古書店のなかは地層の様に本が歴史を刻んでいる。
そこから化石を発掘するように、
考古学者になったようで、
そこに居る時間は、
少し知的な自分に変身している様な気がした。

また訪れてみたい古書店であった。
初めて古書店へ足を踏み入れた
ほおずき市の帰り道でした。





『日本近代短篇小説選 昭和篇1』  岩波文庫 - 2012.08.22 Wed

近代日本を小説の中に綴り、
現実の世界を虚構の世界に絡めとって
現実の奥深くに隠された真相を描こうとした
近代小説の短篇小説16篇。

文学を読むことによりその時の
時代の空気を知る。
歴史の資料を読むのとは違う視点で、
小説家にしか感じることが出来ない
言葉にせずにはいられなかった思いを
知ることができます。

昭和篇1には昭和2年~17年のものが収録されている。
芥川の死が大正文学から昭和文学への
転換を徴づけるメルクマールとなることはいうまでもない、とある。
芥川は自殺の動機について
「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」
ということをいったが、
昭和文学はこの「ぼんやりした不安」を追認し
芥川の死をいかに乗り越えてゆくかということを
命題として出発したといってもいい、とのこと。


堀辰雄の「死の素描」が収録されていた。
堀辰雄(明治37年―昭和28年)東京生まれ。
室生犀星、芥川龍之介に師事した。
コクトー、ラディゲらのヨーロッパ文学の影響を
多分に受けた作風で
モダニズム文学の代表的作家として認められた。
「死の素描」は昭和5年5月「新潮」に発表されたとのこと。
若い頃から肺結核に冒され闘病生活を
余儀なくされた堀は、生涯を死と戯れるように送った、とある。

『死の素描』

僕は、ベッドのかたわらの天使に向かっていった。
「蓄音機をかけてくれませんか?」
この天使は、僕がここに入院中、僕を受持っているのだ。
彼女は白い看護婦の制服をつけている。
「何をかけますか?」
「ショパンのノクタアンを、どうぞ―」
蓄音機の穴から、一羽の真赤な小鳥がとび出して来て、
僕の耳の中に入ってしまう。
それからその小鳥は、僕の骨の森の中を自由にとびまわり、
そして最後に、僕の肋骨の一つの上に来て、とまる。
それが羽ばたくたびごとに、僕は苦しく咳きこむのだ。
僕はこの小鳥を眠らせるために、吸入器をかけさせよう・・・・・。
天使は僕の夢をよく見抜いていて、それを調節する。
それが彼女の役目なのだ。
彼女は、微笑しながら、僕の聴いているレコオドを取替えてしまう。



どんな苦しみも
ロマンチックな痛みにかえようと
小説の中に描きだす情熱。
生を味わいつくす決意。
小鳥のように軽やかに
描きだしていた。






「茶の湯といけばなの歴史」 日本の生活文化  左右社 - 2012.08.20 Mon

生活と芸術という視点から日本の生活文化を見ようとする。

江戸時代に芸術といえば武道における技芸であり
職人のもつ技術をさす言葉で
美的価値を求める人間の創造活動の成果という
西洋近代のアートの翻訳語とは別の意味であったとのこと。

日本には、今日いう生活も芸術もなく
それらを一体としたくらしがあり、
その思いを、ある時は
「あはれ」
「おかし」
「ばさら」
「幽玄」
「わび」
「かぶき」
「粋」
「伊達」
などの言葉で表現してきた。

芸術の生活化、生活の芸術化の伝統について述べている章がある。
平安時代の貴族は寝殿造りの住宅に住み、
その室内の建具や調度の
襖障子
屏風
几帳
などには日本の風景や風俗を主題とした
「大和絵」が描かれ、
飾り棚には蒔絵の硯箱や文箱などが置かれるのが普通であった。

そのような美術品に囲まれた室内で
和歌を贈答し
物語や物語絵を創作したり鑑賞する毎日を
過ごしていたわけだから
平安貴族にとっては生活そのものが高い芸術性をもっていた。

平安前期は屏風の絵の主題が
中国の風景や風俗を描く「唐絵」であった。
しだいにその唐絵を和風化して
平安中・後期には日本の古典様式である
「大和絵」を確立した。
唐絵から大和絵への展開に際して
大きな役割を果たしたのが
襖障子や屏風の絵、
すなわち障屏画だった。

平安中期になると貴族たちは
日本の風景や風俗であることを求め、
絵の表現においても自分たちの
生活感情や自然観を満たすものを求めた。
その結果、技法や様式までが和風化して
大和絵の誕生となった。

これはいいかえると、
外来文化の受容ということである。
受容して日本の環境にあわせて変容させることで
定着したのである。
当時の芸術は生活(環境)と密着していたから
中国から伝わった音楽や美術工芸は
生活化することで定着した。 



この本は松本清張が描いた
日本美術史の芸術家10人の歴史短編小説
『小説日本芸譚』を読み、
松本清張が描いた千利休のドラマにはまりこみ
千利休をもっと知りたいという思いで
読みました。

近代数寄者の世界で
井上世外
藤田香雪
益田鈍翁
村山玄庵
根津青山
高橋箒庵
原三渓
小林逸翁
松永耳庵
の紹介もあります。







カレンダーと月 - 2012.08.19 Sun

空を見るのが好き。
飛行機雲、
鰯雲、
やっぱり雲の形が楽しめる青空が良いです。

夕方の桃色の空の部分。
水色とバラ色が溶け合った桃色。

夜には星、月、遠くを飛ぶ飛行機であろう光。
夜は少しロマンチストになったりして。
少し涼しくなったら、
秋の虫の音が聞こえる中、
夜空を眺めながら
お酒とか飲んでみたり。

先日(8月18日)夜風を部屋にいれるため
窓を開けてみたら、
いつもより暗い夜空が。
もしかして新月と思って
カレンダーを見たらそうでした。

カレンダーを選ぶ時、
月の満ち欠けも知ることが出来る
カレンダーを選びます。
毎日、今日の月は?と
調べているわけではないのですが、
なんとなく気になった時に
カレンダーで今夜の月を調べられて、
夜空に月が見えなくて
さみしかったりしても
月が見えない理由がわかって
なんだかホッとしたりするのです。




「遊戯の終わり」 コルタサル作 木村榮一訳  岩波文庫 - 2012.08.19 Sun

18篇を収録した短篇小説集。

Ⅲ章にある「山椒魚」を読む。

ぼくは山椒魚に取り憑かれていたことがある。
植物園にある水族館に出掛けて行っては、
何時間も山椒魚を眺め、
彼らがかすかに身動きしたり、
じっとうずくまっている様子を観察したものだ。
今では、そのぼくが山椒魚になっている。

冒頭の文章にそう書かれていた。

パリがのんびり冬眠から目を覚まし、
きらびやかな孔雀の羽根を広げようとしていた
春の朝に
ぼくはその山椒魚に出くわしたそうだ。

はじめて出くわしてから、
一時間ばかり彼らを眺めたあと外に出たが、
その時はもう山椒魚に取り憑かれていた。

毎朝そこへ通い、時には朝昼二回出かけて行く。
ぼくは山椒魚のまわりにめぐらしてある鉄柵にもたれて、
山椒魚を眺めることにしていた。
ぼくは押しピンの頭を思わせるふたつの目、
全体が透明な金で出来ている、何かを見つめる目。
ぼくの視線はその目に突きささり、金色の部分を突きぬけて、
透明で神秘的なその内部に吸いこまれていくように思われた。

はじめて山椒魚に出会った時、
彼らのいかにも平静な様子に惹かれて、
思わずぼくは身を乗り出した。
その時、彼ら山椒魚の秘めた意思、
つまり一切に無関心になりじっと
動かずいることによって、
時間と空間を無化しようとする
彼らの意志がおぼろげながら
理解できるように思えた。

彼らは鰓を収縮させたり、
石の上にほっそりした足をのせたり、
急に泳ぎ出したりするが、
後で分かったところでは、
そうすることによって何時間も眠り込んでいた
鉱物的な昏睡から目を覚ますのだ。

とりわけ強くぼくの心を捉えた彼らの目。
山椒魚の目は、ぼくたちとはまったく違った生活、
異なったものの見方があるのだとぼくに語りかけていた。
その金の目は穏やかではあるが恐ろしい光で燃えつづけ、
目眩くばかりに深い奥底からぼくを
じっと見つめていた。

ガラスにくっついてじっとしている山椒魚の顏を
ぼくは触れそうなほど近くから見つめた。
ぼくは水槽のガラスに押しつけらている自分の顏を見た。
その顔は水槽の外、ガラスの向こう側にあった。
山椒魚の体の中に生き埋めにされたらしいぼく。

ぼくの顏を撫でたそこにいた山椒魚の
考えていることはよくわかり、
山椒魚もぼくの考えを見抜いている。
ぼくたち山椒魚は人間と同じようにものを考えられるから。


水槽の外にいたぼくと
水槽の中にいるぼく。
時間を空間のように移動して
両方のぼくが物語の中で自由に動く。





三島由紀夫のエッセイ   - 2012.08.17 Fri

ちくま文庫の三島由紀夫のエッセイ2には
「おわりの美学」というタイトルの章がある。

そこに手紙のおわりについて書かれたエッセイがあります。
手紙、ことに長い手紙、
それもはるかな土地からの結びには、
多少、船の出帆のときに打ち振られる
白いハンカチのごときものが必要とされるとのこと。

「またお目にかかる日をたのしみに」
これは押しつけがましくない、よい結びの文句とあります。
聡明で清潔な人柄が溢れているとのこと。
少し物足りないくらいのところが、
人生の最上の美味なのだそうです。

「お宅の猫チャンによろしく」
愛猫家むきの結び。
愛猫に向かって、
「ホラ、○○さんがお前によろしくって書いてきたよ」
などと言ってきかせそうな人への手紙には、
うってつけの結びの文句。

三島由紀夫が大好きな結びの文句は
「いずれ春永に」
とのこと。
能狂言などで使われる挨拶でそれも
冬の間だけの挨拶。
ここには、日が永くなる春の季節を待つ心と、
その季節の運行のごとく、
決して無理ではない、
ごく自然な再会への期待とが、
一つになっているそうです。

三島由紀夫は語っています。
手紙は遠くからやってきた一つの小舟です。
何十ぺん読みかえしてもすばらしいという
手紙もないではないが、多くの手紙は、
読んでしまえば、それで文反古になってしまう。
手紙はついにわれわれの所有に属さない。
それはわれわれの感情や理性に、
何かの小さな事件を起こして消えて行く。
いわば、私たちは、
空間の海をとおって流れて来た小舟を
読み終わると間もなく、
時間の海の沖のほうへ、
すなわち忘却へと、
流し去ってやるのです。

灯籠のように、
ちらちらと水に灯を流しながら、
遠ざかって行く。
その灯籠の灯影がちらりとまたたいて
岸にいる私たちに、
忘れがたい思いを残すことがある。
それが手紙の結びの文句です。

「お仕事を詰めて、お体をこわしたりなさいませんように。それだけが心配です。」
「早く会いたいな」
「まあせいぜい身辺にお気をつけなさい」
「いやな人ね!」
「僕は今とてもさびしい。どうしてかな」
「今度お目にかかる日が待ち遠しくて待ち遠しくて、病気になりそうです」

これらは明暗さまざまの、しかしきわめて効果的な、
この灯影のまたたきなのです、とのこと。

このエッセイは昭和41年2月から8月まで雑誌に
連載していたそうです。
劇作家でもあった三島由紀夫は、
一篇の戯曲を書き始めるとき、
まず第一に考えるのは、
幕切れの最後のせりふであって、
それがきまらないうちは書きはじめることが
できなかった、ということだそうです。

「おわりの美学」というタイトルの章には
他にも電話、流行、梅雨、旅行、個性、嫉妬など
さまざまなおわりについて書かれています。








『西田幾太郎』 シリーズ哲学のエッセンス 永井均 著 NHK出版 - 2012.08.16 Thu

新宿の紀伊国屋書店にて
「ほんのまくら」というコーナーを
特設しているようです。
本の出だしの文章=「まくら」にこだわり、特集しているとのこと。
自分の「まくら」に対する感覚で本を選ぶのって楽しいかもしれない
ということではじめたそうです。
本の書き出しの文章が書いてある
オリジナルのカバーをかけてタイトルは見えないようにしてあるとのこと。
本の出だしの文章との出会いだけで本を選んでみる楽しさを味わえるようです♪

川端康成の『雪国』のはじまりの文

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

サイデンステッカーによる英訳では、この箇所は

The train came out of the long tunnel into the snow country.

と訳されている。
これをそのまま訳せば
「列車は長いトンネルを抜けて雪国に入った」
となる。
英訳では主語が明示されている。
一方
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
という文には主語がない。
いったい何が、あるいは誰が、長いトンネルを抜けたのか、
肝心のそのことが描かれていない。
だから、この文章はそのまま英訳に訳すことはできないようだ。

しかし、ふだん日本語を使っているわたしたちは
川端康成のこの文を難なく理解するだろう。

でも、いったい何が、あるいは誰が、抜けるのか
列車?
たしかに事実はそうだが、
そう表現してしまったのでは、
この文が言わんとしているポイントは失われてしまう。

主人公の島村?
しかし、これもまた事実を正しく表現してはいるが、
川端康成の原文の言いたいこととは違っている。

主人公自身が自分を指す言葉「私」
「私が国境の長いトンネルを抜けると.....」は
「島村が国境の長いトンネルを抜けると.....」と
実質的に違いはない。
前者は、たまたま島村自身の口から発せられたために
変形した後者にすぎないからだ。

もし強いて「私」という語を使うなら、
国境の長いトンネルを抜けると雪国であったという、
そのことそれ自体が「私」なのである。
だから、その経験をする主体は存在しない。
西田幾太郎の用語を使うなら、
これは主体と客体が分かれる以前の
「純粋経験」の描写である。

もし雷鳴が聞こえたら、
日本語ではふつう「雷鳴が聞こえる」と言って、
「私は雷鳴を聞く」などとは言わない。
西田幾太郎の考え方では、
あえて「私」ということを言うなら、
そのときそのように聞こえている雷鳴、
そのように見えている稲妻が、
そのまま、
私なのである。

自分に雷の音が聞こえたとき
「私は雷鳴を聞く」と言ったり、
列車から海が見えたときに
「私は海を見る」と言ったりすれば、
わざわざ他者を排除して、
自分(だけ?)がそういう知覚を持っているように聞こえる。

西田哲学においては、
したがって西田哲学的に解釈された
日本語においては、
知覚する主体もまた、
究極的には存在しない。
雷鳴が聞こえているということ、
海が見えているということが、
存在するだけである。

あえて「私」と言うなら、
私が雷鳴を聞き
私が海を見るのではなく、
雷鳴が聞こえ、
海を見えていること自体が、
すなわち私なのである。


はじまりの文は素敵なものが
多いですよね。
「ほんのまくら」
とっても気になるので
期間中に出掛けてみようと思います。




『イメージの前で』 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 法政大学出版局 - 2012.08.15 Wed



表紙の絵は、フェルメール『レースを編む女』の一部分である。

「細部という問題、面という問題」というタイトルの章がある。
1985年7月にウルビーノの記号論言語学国際センターで
ルイ・マランが主催したシンポジウム「断片/断片的」の
枠内で行った発表を活字化したものとある。
「描写しない芸術、フェルメールにおける細部というアポリア」という題で
雑誌『眼の部分』に掲載されているとのこと。

絵画というものには舞台裏がなく、
それは同じ表面上で、
すべてをまさに同時に示している。
しかしその絵画には、
奇妙で途方もない隠蔽の力が備わっている。
その原因はどこにあるのか。
おそらくその物質的なあり方―絵画物質という―と同じく、
時間的な、
存在論的な
状態が原因なのだ。

そして、われわれの眼差しにおける
つねに欠如をはらんだ様態も、
不可分な原因となっている。
絵画においてわれわれが識別していないものは、
驚くほどの数にのぼるのだ。

哲学的な常識において、
細部というものは、
多かれ少なかれ明白な三つの操作に及んでいるようである。
まず、近づくという操作。
わたしたちは「細部に立ち入る」。
細部に立ち入るとは、
切り取り、
分割し、
断片化するために
近づくのだ。

何も語らない絵画として、
17世紀オランダ絵画がある。
たとえばフェルメールの
『デルフトの眺望』
それはいかなるものの
図解でも
表徴でも
なく、いかなる
先在的なテクスト
―イメージは、その歴史的、逸話的、神話学的、隠喩的……価値
と想定されるものを視覚的に構成することを務めとするだろう―
も指示しない。
そのようなものはすべてまったく無関係である。
『デルフトの眺望』は眺望であり、ただ単にそうである。

絵画―オランダの―は、
「世界は、その色彩と光とともに自ずと表面へ沈殿し、自ずとそこへ刻まれた」
という明証性を伝えるために作られているのだ。
知覚された世界は、そのまま―知覚されたままの姿で―
顔料となって絵の上に沈殿するのである。

オランダ絵画における周知の「技術的巧みさ」、
彼らの「誠実な手と忠実な目」。
手そのもが「忠実な目」に、
すなわち主体なき器官に変わりうるという理想である。

可視性のための二つの道具が前面に出されている。
一方は暗箱(カメラ・オブスキュラ)であり、
もう一方は地図である。

フェルメールの
『デルフトの眺望』は
「地図のようなもの」であると言い
絵は、非絵画的ジャンルに基づいて
範列化されると言う。
十七世紀において地図は彩色されていた。
十七世紀における地図に対する
明白に絵画的な発想は絵画に対する
「地理的(ジェオグラフィック)」な概念
とは正反対のものを考えさせるだろう。
『デルフトの眺望』においては、
「地図製作法そのもが称賛の方法となっている」
ほどである。



ルーブルにある『レースを編む女』のことについても述べられている。

作品の大きさ(21×24センチ)が
その近接認識を可能にするばかりでなく
要請するからにすぎないとしても。
ここには絵の「明白さ」がある。
まさに目が視界を走り回る必要がなく、
それほど絵の範囲が狭いことからいっても、
この絵は「明白」である。
ここには女性がいて、
糸、
織物、
レース
がある、
したがってこの女性はレースを編む女である。
この絵は明瞭判明な細部しか与えることがないのだと
われわれは予想する。
しかし、そんなことはまったくない。

「レース枠に集注したこのレースを編む女(ルーブルにある)
をご覧なさい。
ここでは両肩、
頭、
指という二つの作業班を持つ両手
すべてがこの針の先端を目指して向かっていく。
あるいは、青い瞳の中心にある
この瞳孔をご覧なさい。
それは顏の全体を、
存在全体を集約するものである。」(ポール・クローデル『眼は聴く』)

絵という積みわらのなかに「針を探す」にせよ、
形態による迷宮のなかに「糸を見出す」にせよ、
どちらにせよ、
われわれが探し求めて見つけるのはまさに細部である。
あらゆる細部は、多かれ少なかれ
描線という行為と関係している。
それは安定した差異を構成する行為であり、
図字的な決定という、
区別という、
つまりは模倣的な認識という
つまりは意味作用という行為である。

一般的に言って、
イメージが記号となり
記号が類似的となるのは
描線の操作、糸、針、によってなのだ。
フェルメールの小さな絵には、
レースを編む女の指の間に見出される、
あるいは見出されるべきこれらのあらゆる
細部よりもより近くにあり、
より出現状態にある領域が存在する(この本の表紙の部分)
この領域をクローデルは見つめないし、指摘しない。
しかしこの領域は、
作品の前景で色彩の輝きを放ち、
かくも目覚ましく、
かくも広がりのある区域を占めているため、
われわれはそこに何か奇妙な眩暈の力があると
想定しはじめる。
細部がその繊細さにおいて、
その輪郭において把握されるのに対して、
このような領域は逆にとつぜん拡散する。

それは何でできているのか。
それは赤い絵具の流出である。
それは、それほど渦を巻いてはいないものの、
同様に驚きをもたらす白いもう一つの流出とここで
組み合わさっている。
それはレース枠用のクッションから現れている。
それはわれわれの前で、
絵という垂直的で正面的な存在のあらかじめ
計算できない唐突な顕著のように、
常軌を逸するまでに解れていく。
輪郭はそこで彷徨っているようにみえる。

巧みであるとはいえ厚い絵具の塗り、
色価の転調といったすべてが、
偶然の結果として与えられたかのようだ。
それは、ときおり表面を離れる絵筆の漂うような戯れであり
絵筆はその正確さの、
形態統御の能力を失ったかのようである。
ほとんど投げつけられたように置かれた
朱色の輝きであり、絵においてわれわれと向き合い、
そのまま対峙しつづける。
つまりそれは絵具のである。

フェルメールは『レースを編む女』というほんの
ちいさな同じ絵において、
対照的な二つの糸をまさに示している。
まず、模倣的に「正当化された糸」がある。
細く―0.5ミリメートルに満たない―描かれている。
細部の描写力と呼ばれる
画家の能力を見せてくれる糸である。

そして次に、それの正面には別の糸がある。
何も模倣していない。
まるでフェルメールが、様相にではなく、
ただ過程―ほつれ、流出―にだけ興味を抱いたかのようだ。
不正確な糸であり、絵画に朱色の面を出現させる機会を与える。

この面には、奇妙な拡散力、伝播力が備わっている。
つまりそれは絵全体を触発するのである。
幻覚的な効果によって。
そして模倣的明白さは、
こうしてひとつひとつよろめき始める。
滴をちりばめた緑色のテーブルクロスが液状化する。
左側の飾り房は透き通りはじめる。
明るい色の小さな箱に載った灰色の「ブーケ」が
その不確かさでわれわれをおどかす。
彼は、謎めいた大きな暗灰色の領域によって、
あえて自分の「主題」を呑み込ませようとしている……。
フェルメールの作品における赤い色彩の範列を
取り上げるだけでも、
一挙に多くの例を見つけることができる。

イメージがもっとも真正な形で徴候的となるのは
おそらくそれが強烈に矛盾するときである。
たとえば、フェルメールにおける赤い流れや帽子である。
なぜなら、すでにそれらにおいて、
模倣的なものと非模倣的なものの作用が
逆説的に―しかし緊密に―結びあわされているからだ。
絵画の面は、絵の表象体系における連続性を
ところどころで危機や徴候のように
はっきりと断ち切る、
絵画のこのような部分として定義されねばならないだろう。
それは色彩の鉱脈の、鉱層の、至高な露出である。

プルーストは、ヴァントゥイユの音楽について語りながら
「目立たなかった楽節」が突如として「まばゆい建築物」に
生成する出来事に言及するとき、
「不安定な至高性」を表明していた。
それは円柱を数えられるような建築物ではなく、
彼が言うには「光の感覚、澄み渡り」変貌する「ざわめき」である。
「私の想像力の前で執拗に、
しかし想像力がそれを理解するよりも
あまりにも素速く絹織物のようなゼラニウムの
かぐわしい花びらに喩えられるものをちらつかせていた」

プルーストは言う、フェルメールのすべての絵は
「同じひとつの世界の破片」であるが、
しかしそれは典拠としての世界、現実としての世界ではない。
逆にそれは、
「同じ新しい唯一の美であり、その美は謎であり、
人々がそれを主題によって何かと関係させずに色彩が生む個別的な印象を
引き出そうとするなら、何もそれに似ず、説明することもない」。
この世界、それは厳密には、プルーストが書いているように
「織物や場所におけるある種の色彩」であり、
すなわちある意味では絵具そのもの、
つまりカンヴァスにそれ固有の場を、
その色彩と意味の鉱脈を生み出すためにそこに沈殿する、
絵具そのものなのである。


フェルメールの絵を見ているとき、
細部よりも色彩に
気がつかないうちに
わたしの気持ちをつかまれていたのかも
しれないです。







「ラテンアメリカ十大小説」 木村榮一 著  岩波新書 - 2012.08.11 Sat

著者の木村榮一氏は
ボルヘス、
ガルシア=マルケス、
バルガス=リョサなど、
ラテンアメリカの
小説の翻訳の第一人者として知られる方。

作品案内として

ホルへ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』
アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス『大統領閣下』
フリオ・コルタサル『石蹴り』
ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』
カルロス・フェンテス『我らが大地』
マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』
ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』
マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』
イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』

上記のラテンアメリカ小説以外の
ヨーロッパの文学を含めた
その「小説の歴史」を教えてもらえる部分もあり楽しいです。

序 物語と想像力で著者の木村榮一氏が述べている。

著者の木村榮一氏はプロ野球のファンで
プロ野球のニュースも見るが
スポーツ紙も読むという。
なぜか「言葉」で書かれたものを
読みたいという思いがあるとのこと。
テレビの中継と新聞の記事との最大の違いは
何かと考える。

新聞記事の場合は言語化されている点で、
そこに記者の想像力と読者の想像力が
それぞれに働くということである。
記者の言葉はもちろん事実にもとづくにせよ、
つきつめればその人の主観であり、
言葉にされたとたんに読み手の側に判断がゆだねられる。
あらゆる出来事は言語化された瞬間にそれは物語、
すなわちフィクションに変わる。

物語の力はどこから生まれてきたのか。
物語への欲求はおそらく人間が言葉を
使うようになった時から生まれた。
人は強い印象を受けたり、
深い感動を覚えた出来事を体験すると
それを言葉として語りたくなるが、
それが物語の原型のひとつに
なっていると考えられる。

もうひとつの原型は、神話的な物語。
民話、伝説
新聞の記事、
通俗的なゴシップ、
身近な噂話、
エピソードなど
それらも視野に入れれば
わたしたちは物語に
浸って生きている。

ラテンアメリカの文学、
20世紀以降に書かれた小説の最大の特色は
その現実とフィクションとの関係性にある。
著者が20年近く前にスペインに滞在している時に
向こうで活躍している日本人の画家の方と
歓談したときのエピソードが述べられている。

著者の木村榮一氏が
絵画というのは色彩と形象を用いて創造を行う。
翻訳というのはテキストがあって、
それを日本語に移し替えるだけの作業で
翻訳の仕事は大好きだが時々
ふとさみしいような気持ちになると。

画家の方は答えた。
何もないところから絵を描いているわけではなく
自然や風景、町、人々の営みなどをじっと見つめ、
それをもとに絵を描いている。
近頃自分の描く絵は抽象性が強くなっているが
その根には自分が見た現実があって
それを自分なりに写し取っているだけと。

ある時、著者の木村榮一氏は
幻想文学について考えている時に、
スペインで会った画家の言葉を思い出した。

幻想文学もまた、
抽象画と同じで
あくまで現実に基づきながら、
そこから一見「現実ばなれ」した
描写を生み出しているのではないかと。

ラテンアメリカの歴史についての記述もある。
新大陸は15世紀末にコロンブスによって発見され
その後約三世紀間スペインの植民地として統治される。
植民地時代はセルバンテスの『ドン・キホーテ』を
所有しているだけで異端審問にかけられるほど
厳しい検閲制度が敷かれていたとのこと。

思想書や小説といった散文の輸入は
厳しく制限されていた。
新旧両大陸の間には大西洋という障壁もあり、
地理的に隔絶していたので
当時のラテンアメリカの人たちは中世末期の心性を
残したまま閉ざされた世界に生きていた。

ラテンアメリカの文学の歴史においては
1910年代にはいるとヨーロッパの前衛主義運動の影響を
受けた若い世代の詩人たちが登場する。
けれども、ラテンアメリカの文学が世界に衝撃を
与えたのは小説の分野であった。

アルゼンチンのボルヘス
キューバのアレホ・カルペンティエル
グアテマラのミゲル・アンヘル・アストゥリアス
この三人が先駆者となり60年代から80年代にかけて
重要な作品が生まれてきて
ラテンアメリカ文学ブームと呼ばれるようになる。

先駆的な三人の作家の共通点は
若い頃ヨーロッパに滞在し
そこで前衛主義運動の刺激を受けていること。
その運動のおかげで
彼らは旧大陸の文化的、芸術的伝統の重圧に
押し潰されることがなかった。

ラテンアメリカ文学の作品が世界文学に大きな衝撃を
与えたことは知られているが
なぜこのような現象が起こったのか。

ウラジミル・ウェイドレの
『芸術の運命―アイリスタイオスの蜜蜂たち』が引用されている。

偉大な詩人がその天才の花を
咲かせるのに最も適した条件は
かれの使用する文学語がまだ幼年期にあるような時代に
生きるという幸運にめぐまれることだという。

シェイクスピアやフランスのプレイヤッド派の
詩人たちの場合にせよ、
詩の創造は、
いつもある程度言語的創造と時期を
同じくしているのである。
このような時期において
詩人がもちいるすべての言葉は
それが意味する事物に
このときはじめて冠せられたかのような
新鮮さにみちている。

この一節をもとにラテンアメリカ文学を考えると
植民地時代を通じて中世末期のまま
凍結されていた言語が
独立以後に解凍しはじめる。
「すべての言葉は
それが意味する事物に
このときはじめて冠せられたかのような
新鮮さにみちている。」時期にあったと考えられる。

それともう一点、
忘れてはならないことがあると
著者の木村榮一氏は述べる。

20世紀というのは小説のジャンルにおいて
さまざまな実験の行われた時期でもある。
バーナード・バーゴンジーという批評家が
『現代小説の世界』の中で、
プルーストとジョイスを
「19世紀小説の墓掘り人」と呼んだ
イタリアの作家モラヴィアの言葉を引いて
小説という石切り場は最後に残された
岩層まで掘り尽くされ、
1930年代以降の小説はもはや小説でなくなったと述べている。
しかしラテンアメリカ文学を見渡した時、
その予測が的外れであったことに気がつく。
ボルヘス、カルペンティエル、アストゥリアスが
登場してきたのがまさしく1930年代以降だからである。

ヨーロッパの20世紀文学というのは
ヌーヴォー・ロマンに象徴されるように
実験的な小説の時代でもあった。
言語がみずみずしい生命力にあふれている時代に
生まれ合わせた20世紀の
ラテンアメリカの作家たちの場合は、
その言語を伸びやかに駆使しながら
失われていた物語を小説の中によみがえらせた。

ラテンアメリカ小説の豊かな物語性を
支えている特殊な「現実」感覚は
ある種の「若さ」だけでなく
同時に「古さ」にもその特徴があるとのこと。

ガルシア=マルケスは幼い頃事情があり
祖父母の手で育てられる。
祖母がケルト人の多いことで知られる
スペイン北部のガリシア地方出身で
ケルト人の血を引いていた。
祖母が幼い彼に信じがたい民話、
恐ろしい話、伝説を語って聞かせる。

ガルシア=マルケスが非現実的な出来事を
今見て来たばかりだというように表情ひとつ変えずに
しゃべっていた祖母の語り口を生かして完成させたのが
『百年の孤独』であるとのこと。
この作品の背後にはケルト人が語り伝えてきた
民話、伝説の語り口が息づいていると。

のちにガルシア=マルケスは幻想的な性格を備えた
自分の作品について語っている。

(祖母にとっては神話や伝説、
民間の信仰といったものが)
ごく自然な形で日常生活の一部になっていた。
祖母のことを考えていてふと、
作り話をしていたのではなくて、
単に
予兆や癒し、
予感、
迷信
に満ちた世界を素直に
受け入れていただけなのだ。
そしてそういう世界が
われわれにとってなじみぶかい、
きわめてラテンアメリカ的なものだ
ということに思い当たったんだ。・・・・・・・(R・クレマデス、A・エステバーン『ミューズが訪れる時』)


十大小説それぞれの作品の案内は
作者の幼少期のエピソードからはじまり、
作品の内容に迫るよりも
『エル・アレフ』の作品の章では
ボルヘス・ワールドを繰り広げるような。
著者はボルヘスはたとえてみれば、
途方もない記憶力という船に乗って
時間の海を航海し、
そこに浮かぶ書物という
驚異に満ちた島々を発見して
ぼく達に紹介してくれているのです、とあります。


ラテンアメリカの作品の
翻訳者としてわかりえる事
翻訳者だからわかりえてしまう事を描き
語ってもらえる物語のような
『ラテンアメリカ十大小説』でした。





秋との出会い - 2012.08.09 Thu

昨日の午前、家でラジオを聞いていた。
その時もう季節は秋かもしれないと思った。
部屋の中の空気、窓からの陽射し
そのようなものが秋を感じさせたのかもしれない。
今まで街を飾る秋の気配を感じさせるものを見ても
秋と私は出会ってはいなかった。
昨日が今年の秋との出会いの日であった。
秋を感じさせるものが少しづつ増え、
夏を感じさせるものが少しづつ減る。
その中間地点で出会ったような感覚です。

改めて調べると8月7日は立秋だったのですね。





「千羽鶴」 川端康成 著  新潮文庫 - 2012.08.08 Wed

フローベールは「ボヴァリー夫人」という小説が
黄色を漂わせているように書けばそれで良かったと
いうような事を読んだ事がある。

この「千羽鶴」は紫。
主人公の菊治は
志野茶碗の手触りで肌を思い
志野茶碗の紅ばらが枯れしぼんだような色で唇を思う。
茶室の前に咲く夾竹桃の花はぼうっと白い。
三百年伝えてきた瓢箪に一朝でしぼむ朝顔を活ける。
倒れかかった女の重みは感じず温かい匂いのように近づく。

美に誘惑されるような作品






クウネル - 2012.08.07 Tue



書店で見かけると、
いつも気になってしまう雑誌があります。
好きな雑誌なのです。

このクウネルは2010年の夏に出た号なのですが
京都のうどん店の甘党メニューに昭和20年代から残っている
「小倉クリーム」の表紙。
甘党の人の心の中にはんなりした
甘い思い出が蘇るような写真。

先日本棚を整理していて久しぶりに見て、
クウネルは写真も、記事も、
家でゆるゆるとした時間を過ごす時に
情報を得るというよりも
物語を読むようにめくりたいページなのでした。




「西洋音楽史」 岡田暁生 著 中公新書 - 2012.08.06 Mon

第六章にドビュッシーとラヴェルの名前が
登場してくる。

ベルエポックとか、
ユーゲントシュティールないしアールヌーヴォーとか、
世紀末ないし世紀転換期とか呼ばれる時代。
ワーグナーと二―チェが大流行し
耽美的な芸術潮流が全ヨーロッパ的に
花開いた時代とのこと。

1883年から1914年のわずか30年ばかりの
この時代は西洋音楽史の最後の輝きだった。
マーラーやシュトラウスやドビュッシーや
ラヴェルやサティやラフマニノフなどの主要作品の
ほとんどがこのわずか数十年の間に書かれた。

1914年から始まった第一次世界大戦は、
それこそが西洋音楽史を支えてきたもの、
その社会的文化的基盤を吹き飛ばしてしまった。
西洋音楽史を支えてきた教会と王侯貴族は、
すでにこれより約100年前に音楽史の表舞台から撤退していたが、
彼らの後を引き継いだ19世紀ヨーロッパのブルジョワ社会も
大戦をきっかけにほぼ消滅してしまったとのこと。

この時代になって初めて音楽史に登場してくる
最も鮮烈な潮流といえば、
何よりもフランス近代音楽。
19世紀フランスは、グランド・オペラと
サロン音楽の国であった。
フランスの音楽界が大きく変わったのは
1871年に国民音楽協会が設立されたことがきっかけ。
「フランスにもドイツに負けない正統的な器楽文化を創ろう」
という目的で作られた。

ドビュッシーやラヴェルの頃になると
ドイツ風の堅牢な形式を拒否し
フランス的な「軽さ」へ戻ろうとする動きが生まれる。

ドビュッシーやラヴェルがもつ
意識的に軽薄さや通俗性を気取る、
きわめて洗練された一種のスノビズム。
この点でドビュッシーとラヴェルの
とりわけピアノ曲は、
ショパンやリストからフォーレを経由して
伝えられたサロン音楽の延長上にあるといえるとのこと。

1889年のパリ万博で聴いたジャワや中国の音楽は
ドビュッシーに強い影響を与えた。
また若い頃のドビュッシーやラヴェルは
ロシア音楽に強く惹かれたし、
スペイン音楽も彼らを魅了した。
エキゾチズムの一種である。

異国文化への強い関心は19世紀フランス芸術の特徴である。
ドラクロアからルオーやゴーギャンの異国趣味、
浮世絵に対する印象派画家たちの強い関心。
音楽史でも19世紀フランスは、
ラロのスペイン交響曲、
サン=サーンスのアルジェリア組曲やアフリカ幻想曲や
ピアノ協奏曲第五番エジプト、
ビゼーのカルメンなど
エキゾチズムで溢れている。

ドビュッシーとラヴェルの曲、
この音楽の生まれた時代の景色を垣間見たように思えた。





月の光と風鈴 - 2012.08.02 Thu

今晩は月がとても綺麗です。
風に揺れた風鈴が
月の光を浴びて
音色も煌めいている

薬師寺の東塔は、
いつの頃からか
「凍れる音楽」
と讃えられ
日本で最も美しい塔の
ひとつに数えられてきたらしい。

『芸術哲学講義』(1802-03)の中で
シェリングは建築を
「空間の音楽」と規定して、これを
「石化した音楽」とか
「凝固せる(凍れる)音楽」と
呼んでいる。




「ダブリンの人びと」 ジェイムズ・ジョイス著 米本義孝 訳 ちくま文庫 - 2012.08.02 Thu

地図を見るのは好きなのですが
地図を実用的に利用することは出来ません。
目的地に行くために地図を用意して行き
最寄りの駅に着いてその場所にいる自分の位置と
地図の位置が上手く重ならないのです(^^)
まさしく地図の読めない私です。

けれども地図を広げて
どこに行こうとワクワクしながら
出掛ける場所の道順などを
確認したりして地図を見るのは
とっても楽しいです。

このちくま文庫の『ダブリンの人びと』は
物語の中で主人公たちが歩きまわる
都市ダブリンの地図が付いています。
ジョイスの意図が都市ダブリンそのものを
描くことでもあり、
そのためには主人公たちに市内の方々を
歩かせる必要があったとのこと。

『ダブリンの人びと』のリアリズムは徹底していて
読者が地図を手元に置けば
登場人物が街中を歩きまわる道順を
たどることができるようになっています。

この『ダブリンの人びと』に
付いている地図は手書きで描かれていて
道路の線も直線ではなく
少し曲がっていたりして
そこが物語に付けられている地図として
ぴったりだなあと思って。

地図の道順を登場人物とともにたどりながら
そこに広がる空の色や浮かぶ雲
道端に咲いている花や街を流れる音
を自分で描きながら地図をたどる、そんな時間。






『近代日本「美学」の誕生』 神林恒道 著 講談社学術文庫 - 2012.08.01 Wed

著者は序の『「日本」の美学と日本の「美学」』
と題した章で述べている。
「美学」という、西欧の「人文学」が
明治期という日本近代において、
どのように受け止められ咀嚼されてきたか、
またそこに自らの固有の美意識をどのように
反映させようとしてきたのかをという軌跡を
「芸術」の諸分野にわたる「芸術学」
という視点から改めて検証してみようとした。

第二部 芸術論の展開に
第三章 ロダンと彫刻の近代 彫刻の触覚性をめぐって
とある。

日本における彫刻の近代は、
ロダンの発見から始まると言ってもよいだろう。
1900年パリ万国博覧会で各国の出品状況を述べた
明治35年の『美術新報』に載った「仏国現代の美術」
の報告であると。

この時期、日本におけるロダンの彫刻に対する評価は否定的
なものだったようである。
高村光太郎は作風が違うといわれて
かえって好奇心を持ったのが、
雑誌『ステユデイオ』の記事の中に出ていた
「考える人」の小さな横向きの写真であった。
光太郎が「考える人」の写真を見て心を打たれた頃、
パリの展覧会場で直接眺めていた人物が
萩原守衛であった。

画業に打ち込んでいた荻原はこれを契機に
彫刻への突然の転身を決意した。
その魅力はどこにあったのか。
著者は述べている。

絵画と彫刻のそれぞれに関わる
われわれの感覚は
実は本質的に異なる。
絵画は視覚の芸術であるのに対し、
彫刻は触覚に関わる芸術だということである。

高村光太郎の場合は
ロダンの芸術により
彫刻を触覚の芸術であることを
悟らせる契機となった。
日本の伝統的な木彫の技術を継承した、
高村光雲の子として生まれた高村光太郎。
幼時から馴染んできたのは彫り刻む「彫刻」の世界。

明治9年工部美術学校が設立され、
「彫刻学」の担当教授としてイタリアから
ヴィンチェンツォ・ラグーザが招聘された。
これが日本における洋風彫刻、
近代彫刻の始まりである。

ロダンの制作した「バルザック記念像」がある。
その立像はロダンが「当代のミケランジェロ」
と呼ばれるにふさわしいロダンの造形表現がある。
そこには、文学的形容を超えた
純粋に彫刻的表現の魅力がある。
これを捉えることができるのは
視覚ではなくてただ触覚のみである。

萩原守衛は絵画的なものとの違いから
高村光太郎は小刀を振るって
巧緻の限りを尽くした彫物と対照的な
ロダンの作品との違いに眼差しを凝らすことから
ロダンが近代において再生を目論んだ
彫刻の何たるかを悟ることができたのでは。
と述べられている。

光太郎は「自分と詩との関係」
という評論で次のように書いている、とある。
彫刻家が詩を書く。
それにどういう意味があるか。

私は自分の彫刻を護るために詩を書いている。
自分の彫刻を純粋あらしめるため、
彫刻に他の分子の夾雑して来るのを防ぐため、
彫刻を文学から独立せしめるために、
詩を書くのである。

光太郎にとって詩や短歌を書くことは、
そこで詩人としての有り余るほどの
エネルギーを放出し、
それによって客観的な造形の世界での
彫刻家としての世界での自分の姿勢を
確保するためである、と。

高村光太郎は彫刻家をもって
自らの天職と任じながらも、
彫刻の作家である以上に
理論家でありえた人物であった。

光太郎によれば、
彫刻の本性は「本能の欲求から発する」
ものであり、
「確に手でつかめるもの」という原始的な喜びから
「確に其処に在る事の不思議な強さ」を感じる
精神的高揚に至るまで、
すべて皆これは立体感からくる彫刻の特質であり
一切の彫刻はここを中心として集まるのだと
語っている。

「彫刻に対する人間の根本要求は、
物の再現そのものにあるのでなくて、
物の力学的抽象性の美に在るのだ
といふ見解をとりたいのである」と。

彫刻を真っ向から「触覚」の芸術であると
規定したのがヘルダーであったとのこと。
われわれは彫刻を視覚による立体芸術であると
考えがちである。
だがその視覚は、触覚的視覚なのであると。
その証拠に「手で触るべからず」と書いてなければ、
人は思わず彫刻を撫でてしまうところがある。

ギリシャ彫刻を例としてヘルダーが語っているように
彫刻が目指すべきものとは
視覚が捉える「外を包むもの」ではなく、
触覚のみが捉えることができる「内を満たすもの」
すなわち「美しい充実」にほかならないのである、と。

光太郎の「触覚の世界」の根底に
ヘルダーの彫刻観が見え隠れしている
らしいとのこと。
光太郎が書いた「触知」という詩。

或男はイエスの懐に手を入れて
二つの創痕を撫でてみた。
一人のかたくなな彫刻家は
万象をおのれ自身の指で触ってみる。
水を裂いて中をのぞき、
天を割って入りこまうとする。
ほんとに君をつかまえてから
はじめて君を君だと思ふ。

光太郎が書いた評論「触覚の世界」がある。
「人は五官といふが、
私には五官の境界がはっきりしない」と述べ、
視覚から聴覚、嗅覚、味覚までを
すべて触覚の言葉と
触覚という感覚の根源性へと還元していこうとする。

「空は碧いという。
けれども私はいう事が出来る。
空はキメが細かいと。

音楽を聞くときは全身で聞くのであり、
それゆえに音楽は全存在を打つのである。

連想的形容詞でなく、
厚ぼったい匂や、すべすべな匂や、
おしゃべりな匂や、やけどする匂がある。

印度人がカレイドライスを指で味わい、
そば好きがそばを咽喉で味わい、
鮨を箸で食べない人のあるのは常識である」

高村光太郎は
「五官は互に共通しているというよりも、
殆ど全く触覚に統一せられている」
と結論づけるのである。

ロダンは、彫物師の家に生まれた光太郎の
うちに眠っていた彫刻精神をたたき起こした。
ロダンがなしたことは、彫刻精神の
ルネサンスである、と。

彫刻とは量の世界であり、
此世の一切を量の比例均衡に於い見、
捉える物のみの作り得る芸術である。
彫刻家は一切を触知する。


高村光太郎の詩集を読むうえでも
詩の作品を作り出す過程を
知ることが出来たように思えて
もう一度詩集を読んでみようと思った。






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