2012-09

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空を眺める - 2012.09.30 Sun

本が大好きだけど
今日は空を眺めていたい
そんな日もありますよね。



この本は読んではいないのですが
以前書店にて見かけて空カフェって
良いなぁと思って......。
秋は金木犀の匂いを連れてくる風が
心にしまいこんでいたアルバムの
ページをめくりだし
なんだかせつない気持ちにさせる。
本を読まなくても物語が始まるのです。



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対話 - 2012.09.22 Sat

自分の声を聞く

他人の声を聞く

顏を見ずに夫の声を聞く

横に並んで夫の声を聞く

顏を見て他人の声を聞く(他の人の声も聞こえる中で)

向かい合って夫の声を聞く

人とのコミュニケーションの取り方って色々あり
人とのつながりにより癒されるってこと
をあきらめてはいけない。
心を閉ざさなければ聞いた声に呼応して
いつか自分の気持ちも語りたくなるから


映画『アトモスフィア』を観て思ったこと.........




鉄色の紙と銀色のインクの文字 - 2012.09.18 Tue



『書物の不在』モーリス・ブランショ 著 中山元 訳
を読む。
ページを開く。
ブランショの銀色がかったポートレート。
何歳の時の写真であろうか。

「みずからに問いかけてみよう。問いという形にまでいたらない
ものを疑問点として掲げてみよう。」
と本文の1ページ目の2行に言葉がある。

ブランショが自分に問いかけている言葉を
わたし自身にも問いかけるように読む。
疑問は答えを待たずに
鉄色の紙に吸い込まれ
銀色のインクの文字の痕跡を残す。
痕跡を眺める時間の楽しみを知り
最後のページを終えた。




秋の薔薇 - 2012.09.14 Fri

秋の薔薇は季寄せを見ると9月の季題とある。
秋の薔薇は春に咲く薔薇よりもしとやかである。
優雅というよりも凛とした佇まい。
どこか和風でもある。
花の大きさも葉も控えめに感じられる。
ガラスの花瓶ではなく
竹細工の花篭にふわりと。

晩秋まで庭で咲き続けた葉を落とした数本の
夜露の名残りがある薔薇。
そんな薔薇を早朝に見ると
美しさが際立っている。






国立近代美術館 - 2012.09.13 Thu

国立近代美術館は千代田区にある美術館です。
今年は開館60周年ということで
様々なイベントが行われているようです。
なかでも気になったのが
http://www.momat.go.jp/momat60/newsreport/newspost-39.html

お月見会
小さなお月見台もある「夏の家」。秋の夜長を楽しむイベントとして、お月見会を開きます。当日は予想では弓のような月ですが、屋外投影や、BEER MOMATの特別メニューなど、お月見ならではのスペシャルコンテンツを多々ご用意しています。
ぜひご参加ください。
日時:9月15日 18:00-21:00 (雨天順延)
参加無料、申込不要
スケジュール:
18:00-18:30 ギャラリートーク 
本プロジェクト企画者による、「夏の家」の解説をおこないます。
18:00- お月見会終了まで
当館で7月まで開催していた「写真の現在4」の出品作家である中村綾緒さんによる映像を投影します。
コンセプトは、「あつめたひかりをそらにかえす」です。
当日は、BEER MOMATに出店している料理家のyoyo.さんとお仲間による、お月見にちなんだスペシャルメニューも販売します。
秋の夜長にぜひご参加ください!

お月見良いですよね!

国立近代美術館は前庭が広々として
建物の中に入った時のエントランスの天井の高い空間も大好きなので
美術品もさることながら美術館の構造を楽しみに訪れたりしています。
芸術の秋、楽しみが増える季節です。



マルセル・プルーストを読む 2 - 2012.09.11 Tue

『失われた時を求めて1』
を読み始めてから数日たち
今は65ページを読んでいる。
一日にほんの数ページずつ読む。
メモしておきたくなる言葉に出会うけれど
そのままメモをせずに読み続けることにする。
マルセル・プルーストと会話を楽しむように
読みたいと思った。
話しの流れをさえぎったりはしたくない。
ゆっくりと読んで
マルセル・プルーストの言葉を記憶して
ひとつひとつ丁寧に
ピラミッドのように積み上げる。
最終巻まで読み終わった時に
ほとんどの出来事は忘れてしまったとしても
過ごした時間の長さだけは記憶として残り、
いつまでもマルセル・プルーストを忘れない。






『日本文学史序説 下』 加藤周一 著  ちくま学芸文庫 - 2012.09.09 Sun



加藤周一氏は1919年生まれ。
早くからヨーロッパ文学や日本の古典文学を読む、
と紹介されている。

下巻の第十章
「第四の転換期 下」とある。

1868年の世代、
西洋流の高等教育の最初の世代として特徴づけられる。
明治維新前後に少年時代を送った世代の一般的な特徴は
西洋文化との広汎で組織的な接触、
伝統的な教養の深さ、
および社会の全体に対する関心、
に要約される。
しかしそれぞれの文学者(または思想家)の
「西洋」や「伝統」や「社会」に対する反応のし方が
大いにちがっていたことは、いうまでもない、
とある。

およそ五つの類型に分けて考えられるとのこと。
第一、伝統主義。
「西洋化」に対する抵抗は、強かった。
殊に江戸町人文化とのつき合いの
深かった小説家において、その傾向が著しい、
とある。
幸田露伴は下級幕臣の息子として江戸に生まれた。
尾崎紅葉は江戸の職人の子である。
泉鏡花は金沢の彫金師の家に生まれ、17歳で上京し、
紅葉の家に寄食して、その弟子となった。
彼らはいずれも伝統的な文学的散文(いわゆる「雅文体」)
を操って小説を作った。
思想的には、西洋の影響がほとんどなく、
倫理的、美的価値観は江戸町人文学のそれをほとんど継承する。
社会的関心はこの三人の誰の場合にも目立たない。
おそらく19世紀末から20世紀初めへかけての日本の社会のなかで、
伝統的な美学に徹するためには、その社会から自己を意識的に
切り離さざるをえなかったからであろう、
とのこと。

第二、文化的伝統の対象化。
フェノロサが狩野派の絵画や仏像彫刻を評価したときに、
それは異国趣味を通してではなく、
原則としてはあらゆる文化のなかでの作品に対して適用できるだろう
普遍的な評価の基準を通してであったにちがいない。
フェノロサに青年の岡倉天心は、個人的に接触し協力した。
彼はフェノロサの眼を通して、日本美術を学んだはずである、
とのこと。
それは、単に文化的遺産の自覚ではなく
普遍的な基準によって定義された
世界美術の一部分としての日本美術の、
対象化と再評価を、意味する。
日本の文化と美術を語った主要な著作の大部分を
英語で書いた理由とは何か。
自分自身に対して、日本の文化を対象化し、
普遍化する必要が大きかったからにちがいない。
もしそうでなかったら、『東洋の思想』や『茶の本』
の驚くべき迫力は、到底ありえなかったろう、
と述べられている。
同様に鈴木大拙は、
禅と仏教と日本文化について、
半ばは日本語半ばは英語で書いた。
鈴木大拙や岡倉天心は、
日本の伝統的文化を、
意識的に対象化し、普遍的な仕方で、
分析し叙述しようとした。
ヘーゲル風にいえば彼らにとっての伝統は、
いわば伝統対自である。
その点が露伴の伝統即自とちがう、
と述べている。
文化的遺産の対象化は必ずしも個人的な水準での
外国人との接触を媒介としないでも、
社会的な水準での日本の「西洋化」を
生きぬくことを通しておこり得るだろう、
と述べている。
柳田国男はまさに「西洋化」の過程で
誰も注目しなかった大衆(彼のいわゆる「常民」)の
伝説や祭や風俗を組織的に
蒐集し、
整理し、
分析し、
意味づけようとした。
大衆の行動様式に注目し
文化の変数ではなく常数に注意し
通時的ではなく同時的な接近法をとりながら
特殊日本的な対象を、非特殊日本的な言葉で、
語ろうとしたのである。
近代日本における伝統的教養の持続性の証人が
露伴であったとすれば、
「常民」の生活形式の持続性のかけ換えのない証人は
柳田国男であった、
と述べる。

第三、文化的対立の創造力への転化。
森鴎外は、西洋の歴史的な挑戦を内面化し、
二つの文化の対立をみずから生きることで、
それを創造力に転化した。
鴎外の言葉でいえば、「二足のわらじ」の
積極的な意味にほかならい、とのこと。
鴎外は、西洋語の散文の正確さと推論の秩序に学びながら、
漢文の語彙と文章法を基礎にして、新しい文学的な散文を完成した。
他方、夏目漱石は市民社会の日常生活のなかに
個人の心理や価値観や個性を描きだして、
人間のあり方一般に及ぼうとする小説の一形式を、
西洋文学に借りて、日本語の小説を完成した。
西田幾太郎は、近代哲学の概念そのものを西洋に学んで、
自己の哲学的思索を一つの体系にまとめようとした。
独特な文体を作り、多義的ではあるが、
高度に抽象的な話題を語りながら、
一種の感情的な反応を読者によびさます。

鴎外、漱石、西田幾太郎の関心の対象が
西洋の制度や技術ではなく、
文学や哲学を通じての西洋の「精神」であった。
吉田松陰から中江兆民までの知識人一世代が
西洋に対した態度とは、著しくちがう。
彼らが日本の「精神」をすなわちその社会と文化の全体を
問題にしていたからである。


「文学」を文芸作品として読むことにしか捉えられていない私に
日本人の精神活動の「文学」を教えてもらえました。





『クリスチャン・ディオール 1947-1957 (Dior in VOGUE)』 - 2012.09.07 Fri

『クリスチャン・ディオール 1947-1957 (Dior in VOGUE)』文化出版局
1947年「ニュールック」を発表してから
1957年にディオール が亡くなるまでの
10年間にわたるディオールの足跡を
ヴォーグに掲載された多数の写真と記事をまとめた1冊。

先日、素敵な図書館でこの本を読む。
ファッションデザイナーに関する評伝や
人物に焦点をあてた記述を詳しく
読んだことがなかったので
初めて知ることが多くとても興味深く読んだ。

デザイナーとしての苦悩や
新作を発表するまでの緊張感、
服を作るということに対する情熱。

年代ごとにモノクロの写真で
それぞれの季節に分かれて
デザインのこだわりも紹介されている。
モデルの女性の美しさとともに
映画のワンシーンを見る様な
ドラマを感じる服に酔いしれる。

ファッションを通して
その時代の空気、
歴史を垣間みる。





窓辺で本を読む - 2012.09.05 Wed

自分が想い描く
理想の空間で本を読む。
部屋であれば壁紙の柄や
腰壁があるとか
椅子の座り心地とかデザインとか
床の材質だったり。
照明の色合い。

私が想い描く理想の空間は
二階の部屋の窓辺に机をおいて
その窓辺からは樹木の緑の葉が
すぐ近くの真正面に見える。
窓の大きさはそんなに大きくなくて。
窓枠が絵画の額装のように
樹木の葉を付けた一部分だけを縁どる。
樹木の葉を地上から見上げるのではなく
同じ高さで真直に見る。
わたしは時々、鳥になって本を読む。






国書刊行会40周年記念冊子 - 2012.09.04 Tue

今日、訪れた書店に
『私が選ぶ国書刊行会の3冊』
という無料頒布されている小冊子が
あったのでいただいてきました。
大きさは新書のサイズくらいで
ページ数は151ページあります。
http://kokusho40th.info/
にて、
表紙のデザインや詳しい情報を見ることが出来ます。

この小冊子はぜひ書店で手に取って
見てみることをオススメします。
手触りや裏表紙の赤ワインを想わせる色など
とっても素敵なのです。
国書刊行会が61名の知名の方々に依頼して
ひとりひとりが、
選んだ三冊を見開き2ページを使って、
書かれた文章があります。
幻想のように、
哲学のように、
エッセイのように、
さまざまな文体で書かれた
オムニバスを読むようで
とても面白いです。
そしてその方々の国書刊行会の本の想い出。

全国の書店でフェアを開催しているようなので
『私が選ぶ国書刊行会の3冊』
手に取って読んでみてください!

私の本棚にある国書刊行会の3冊は
『アイルランドストーリー』
『ブルターニュ幻想民話集』
『私が選ぶ国書刊行会の3冊』。




マルセル・プルーストを読む。 - 2012.09.02 Sun

集英社文庫の鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』
を読もうと思った。
いくつかの出版社からの文庫があるが
集英社文庫を読もうと思った。
物語のはじまりの5行ほどを読んでみて
小説の語り手の言葉がすんなり自分の耳に
届いてきたように思えたから。

13巻まであるこの物語。
訳者の鈴木道彦氏がまえがきの文章で
内容も入り組んでいて、
一筋縄ではいかない代物であると述べる。
だが、むしろ一見したところ難解に見えながら、
きわめて明快な作家であるとも述べられている。
またプルースト自身が語っているように、
この作品には(あまりの大作で少々とらえにくくはあるけれども)
実はきわめて厳密な構成があり、
それを発見すれば『失われた時を求めて』の面白さも
飛躍的に増大するはずと。
むしろ、うっかりすると隠されたまま消えてしまうような意味が
徐々に明確に浮かび上がり、個々がバラバラな挿話が
いつのまにか有機的につながる。
そして全体の構造が少しずつ姿をあらわすのを見るのは、
この小説の大きな魅力の一つと言ってもよいだろう、
と述べられている。

わたしは、今
物語の中へ長い旅に出る計画を立てた。





ジョン・ハート、俳優 - 2012.09.02 Sun

『BRUTUS』no.737のdunhillの広告のぺージがあった。
俳優、ジョン・ハートのモノクロの写真の姿、そして言葉が。

   役者として演じている最中、うまくいっているときは、自分が
誰かという思いはなくなります。頭の中では自分が演じている人物に
なりきります。そういう感覚を表現する言葉はいろいろあると思い
ますが、わたしは「神がかり」と呼ぶのが好きです。
   ある意味、役者はスポーツマンに似ています。サッカーの試合
を見ていると、一方のチームのプレーが神がかってくることがあります。
チームが一体となって奇跡のように動き、お互いに見なくてもどこに
いるかを把握しています。
   演じる場合も同様に、時に神がかった状態になることがあり
ますが、どうしてそうなるかは分かりません。すべてがうまく回り
始め、どうやったらそうできるのか、どうしたらまたできるのか知りたい
と思います。でももちろんそこに答えはありません。神がかりは
人知を超えたところにあるのです。こういうことはめったにありません。
   招き入れる唯一の方法は、単に考えないことです。そうなる
ときは、そうなるのです。ならないときこそプロの腕の見せ所です。
   プロ意識とは、その気になれないとき、頭がきちんと働かない
ときにでも、やってみせる能力のことです。そこで長年培ってきた
テクニックを使うのです。役者に限らず、どんな職業においても。
   自分がどんなときに神がかりになるかは誰にも分かりません
それが始まるまでは…。


    





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