2012-11

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『東洋的な見方』  鈴木大拙 著  岩波文庫 - 2012.11.30 Fri

かつて日本庭園にて庭石を
眺めていた時わたしは
何を想って眺めていたのだろうか。

今、眺める機会があれば、
鈴木大拙を思い出し
「日本人の間では自然のままの石を、石に人間の魂を与えて見る。
即ち山から出る石は、その掘り出されるときから、
既に石でなくなって居る。
それが庭に据えられると、それは自分たちの友達となって来る。
ものを言うと返事する。
年を経て苔が生えると、それはもう儼然たる存在で、
その庭には一種の寂が生まれる。」と
『東洋的な見方』で記されていたことを
思い出すのかもしれない。

漢民族は石で万里の長城を築き、
エジプト人はピラミッドを建て、
印度にも石の跡は見られる。
日本では石が削られずにそのままに
立てられ、寝かされ、ころがされ、散らかされた。
石を生きものとして見る、
即ち、石から生きものを作り出す。
石をそのままにして、そのままの形で見て生かしていく。


庭石を見ながらお茶を飲む。
わたしは再び鈴木大拙の
「和敬清寂」ではじまるエッセイを思い出す。

「和をいつも、わと読んでいるように思うが
近頃、この和はやわらぎと読んでよいと考えるのである。
やわらぎは茶席へ集まる人人の
心持の土台となることは勿論であるが
茶室の構造および道具の性格というようなものを
支配する原理でもあると見てよさそうである。
茶室の構造にシンメトリイを好まぬのは、
やわらぎの心から来ているのではなかろうか。
自然の曲線を入れて、全体の上になだらかな気分を出すと
その中にいる人間も自らその気を吸うものである。

茶人が古器物を好む1つの理由は
その伝統性にもよるのであるが、
すべての古器物には或る種のやわらぎがある。
古いというただその事実が、
その物に対し何かしらの親しみを覚えさせる。
人間は過去から出て来るのであるから、
自らその出処に対するあこがれを持つ。
未来に対してもあこがれを持つが、
一種の危惧がある。これが希望である。
過去には危惧はない、通って来たので、
このあこがれに望みはないが親しみはある。
親しみはやわらぎに外ならぬ。

これは利休所持とか、
宗旦伝来だとか、
これは遠州の作だとかなどいって
茶人は伝統に気をもむ。
そのものの美的価値は
第二位にも第三位にもおかれる。
茶人の嗜好は寧ろ美そのものよりも
やわらぎというような
人情的なものに気を引かれることが多いのでは。
その物の美的価値はとにかくとして
それに附帯する人間味の親しさを味わんとするのが
茶人の心理ではあるまいか。親しみはやわらぎである。

やわらぎの触覚は手が直接である。
茶碗の触覚のやわらぎは手で感じる。
茶碗を取り上げ、両手で抱持する。
茶人の茶碗は普通の二倍も三倍も大きい。
どうしても両手で持たなくてはならない。
両方の手で茶碗の肌を感ずる。
茶碗から茶をのむというよりも、
両手で掬い上げて茶をのむといった方がよい。」


日本庭園にて読む文学はやわらぎの仮名文学が良いかしら。
と思ったりする。『源氏物語』や『枕草子』など。

「日本文化史のうちで最も日本的なものの
発揮させられたのは藤原時代であろう。
この時代を特徴づけているのは、やわらぎに他ならない。
やわらぎは実に女性の特徴であり、
女性は仮名文学を発明し
それを駆使して女性文学を創作した。
女文字が出来たので、日本の文化は漢字文化から独立した。

日本の気候は湿気で支配されているというが
気候だけではない日本の自然の景物は
一種の潤いと柔かさをもっている。
このやわらぎが最も日本人的嗜好といわれる
茶席の中にも見えている。」

鈴木大拙が90歳前後で編んだこのエッセイ集。
歴史的に「東洋の」見方であったものを
世界の中で東洋から世界に向けて世界化して、
世界における一つの、そして世界にとって
有意義である独特な可能性として、
「東洋的」な見方というのである。

禅と西洋世界との出会い(ぶつかり合いと触れあい)
からうまれた「大拙なる存在」と
上田閑照氏は解説として記す。










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『樹影譚』 丸谷才一著  文春文庫 - 2012.11.20 Tue

写真は静止した画像であるが
止まることなく動く現象を
ある瞬間の時間、そこに止めて
写真という空間に写しだす。
その時に見えた世界、感情を含め
写真家は時間の経過、
流れている時の歴史までもを
写しだすことができたりする。
文字としての言葉は書かれていないが
眼に見える光の言葉として。

小説は読者が言葉を受け取り
想像のなかで物語の中の時間は動き出す。
作家は物語を綴る。
映像が眼に見えるように。

短篇集『樹影譚』の中の一篇「鈍感な青年」。

図書館の副館長の部屋。
図書館の館員3人が閲覧者の噂をしている。
毎日、閲覧室で並んで本を読む大学生の男女のこと。

場面はかわりそこは閲覧室。
娘が現れ彼の隣の椅子に腰かける。
このあたりまでは館員3人と読者のわたし4人で
ふたりの様子をこっそりさぐっている感じ。

その二人は昼食を食べコーヒーを飲み散歩をする。
小さな丘のベンチに腰かけ
そこで会話の場面が出てくる。
そこからはふたりをさぐる読者ではなく
彼女もしくは彼になった主人公として
物語は動き出すようになる。

そして最後のページの頃には
魔法がとけたように
二人を見つめる読者となる。

舞台を見ているように
時間の流れになめらかに
すべり込ませてくれる短篇。









『山の音』 川端康成 著  新潮文庫 - 2012.11.13 Tue



この作品は一章それぞれに
独立した短編の形で発表された作品を
全体の構成の部分としてとらえ
長編小説として完成させたものである。

どうしてその作者の書いた文章に惹かれるのか。
この作品のなかには能面、
渡辺崋山の墨絵「風雨暁鳥図」
宗達の子犬の水墨、
利休忌、
鎌倉を舞台にした四季の草花、情景
この小説は夏の時季からはじまり
日まわり、秋の月、公孫樹、萩、薄、栗、寒桜、
黒百合、鳶の鳴き声。
それぞれの章で四季を感じる日本の心象風景を描き出す。

加藤周一は『日本文学史序説』で
「川端の小説のなかの女は、
―男も同じことだから、むしろ登場人物は、というべきかもしれない―
すべて影が薄く、
人間としての重みがなく、
ただ感覚的な一場面を作るための要素として描かれている。」
「女の物化、があり、他方には、物の官能化がある。
女は焼物の如く、焼物は女の如くである。
いや、焼物に限らない。冬の夜の天の河でさえも
川端にとっては、なにか艶めかしいのである。」と述べている。

川端康成の作品を読み進め、
ページをめくる手を止めて
しばしその言葉を鑑賞してしまうのは
物を官能的に描いている、その部分であったりする。
そこに描かれる人間の感情は、
女性が語る美しい言葉使いもあいまって
詩を読むように乾いていて、
イメージとして残る。


先月、観た映画「白夜」の監督をしたロベール・ブレッソンも
人間の感情を抑制して描き、ストーリーを進める上で
物を撮るように映したという事を思い出した。

川端は1899年生まれ。ブレッソンは1901年生まれ。
同じ頃に生まれた二人。




午後3時 - 2012.11.08 Thu

午後3時、朝からの雨がたっぷりと染み込んだ
四谷の新宿通りの舗道。

地下への階段から音楽が聞こえる。
灰色の空になじむような音色。
階段を降りて扉を開ける。
中へと入るとジャズの音色に包まれる。

椅子に座り珈琲を飲み
音に包まれている感覚を味わう。
天井は低く壁にはモノクロの
葉書ほどの大きさの写真が
等間隔で飾られている。
約40年間、ジャズを聴き続けている壁は
木目に音の色合いを含んでいる。
もっと聴きたくなる音、
聴くのを止められなくなる音。

聴いてしばらく経つと
心地良さが時間を忘れさせる。
時計を見ると午後4時を過ぎたばかりなのに
今は真夜中であっても不思議とは思わない。

ジャズ喫茶に流れる時間。









『ことばの食卓』 武田百合子著 画・野中ユリ ちくま文庫 - 2012.11.05 Mon

著者の武田百合子さんは1925年生まれ。故武田泰淳氏夫人。
この著書は食べものに関するエッセイである。

ふとした瞬間に自分でも
どうしてこのきっかけで
思い出したのかわからないほど
その情景を細部までありありと
思い出すことがある。

この本のなかの一章「枇杷」は
夫が枇杷を食べているところが
枇杷の汁が手首へ流れ、
目尻には涙のような汗までたまり
二個の枇杷を食べ終わるまでの
夫を細かくうつしだす。

この瞬間をしっかり覚えておこうとは
思っていなかったであろう景色や言葉。
そのようなことを
今の自分は思っているのであるが
もしかするとその当時に遡ると
強く印象のある出来事であったり
とても好きなところであったりしたのだろう。

著者もどうということもない思い出なのに。
と語る。そして、
あの手の形は父親譲りだと言っていたと
夫の手の形を思い出す。枇杷を食べていた梅雨晴れの午後。











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