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『日本文学史序説 下』 加藤周一 著  ちくま学芸文庫 - 2012.09.09 Sun



加藤周一氏は1919年生まれ。
早くからヨーロッパ文学や日本の古典文学を読む、
と紹介されている。

下巻の第十章
「第四の転換期 下」とある。

1868年の世代、
西洋流の高等教育の最初の世代として特徴づけられる。
明治維新前後に少年時代を送った世代の一般的な特徴は
西洋文化との広汎で組織的な接触、
伝統的な教養の深さ、
および社会の全体に対する関心、
に要約される。
しかしそれぞれの文学者(または思想家)の
「西洋」や「伝統」や「社会」に対する反応のし方が
大いにちがっていたことは、いうまでもない、
とある。

およそ五つの類型に分けて考えられるとのこと。
第一、伝統主義。
「西洋化」に対する抵抗は、強かった。
殊に江戸町人文化とのつき合いの
深かった小説家において、その傾向が著しい、
とある。
幸田露伴は下級幕臣の息子として江戸に生まれた。
尾崎紅葉は江戸の職人の子である。
泉鏡花は金沢の彫金師の家に生まれ、17歳で上京し、
紅葉の家に寄食して、その弟子となった。
彼らはいずれも伝統的な文学的散文(いわゆる「雅文体」)
を操って小説を作った。
思想的には、西洋の影響がほとんどなく、
倫理的、美的価値観は江戸町人文学のそれをほとんど継承する。
社会的関心はこの三人の誰の場合にも目立たない。
おそらく19世紀末から20世紀初めへかけての日本の社会のなかで、
伝統的な美学に徹するためには、その社会から自己を意識的に
切り離さざるをえなかったからであろう、
とのこと。

第二、文化的伝統の対象化。
フェノロサが狩野派の絵画や仏像彫刻を評価したときに、
それは異国趣味を通してではなく、
原則としてはあらゆる文化のなかでの作品に対して適用できるだろう
普遍的な評価の基準を通してであったにちがいない。
フェノロサに青年の岡倉天心は、個人的に接触し協力した。
彼はフェノロサの眼を通して、日本美術を学んだはずである、
とのこと。
それは、単に文化的遺産の自覚ではなく
普遍的な基準によって定義された
世界美術の一部分としての日本美術の、
対象化と再評価を、意味する。
日本の文化と美術を語った主要な著作の大部分を
英語で書いた理由とは何か。
自分自身に対して、日本の文化を対象化し、
普遍化する必要が大きかったからにちがいない。
もしそうでなかったら、『東洋の思想』や『茶の本』
の驚くべき迫力は、到底ありえなかったろう、
と述べられている。
同様に鈴木大拙は、
禅と仏教と日本文化について、
半ばは日本語半ばは英語で書いた。
鈴木大拙や岡倉天心は、
日本の伝統的文化を、
意識的に対象化し、普遍的な仕方で、
分析し叙述しようとした。
ヘーゲル風にいえば彼らにとっての伝統は、
いわば伝統対自である。
その点が露伴の伝統即自とちがう、
と述べている。
文化的遺産の対象化は必ずしも個人的な水準での
外国人との接触を媒介としないでも、
社会的な水準での日本の「西洋化」を
生きぬくことを通しておこり得るだろう、
と述べている。
柳田国男はまさに「西洋化」の過程で
誰も注目しなかった大衆(彼のいわゆる「常民」)の
伝説や祭や風俗を組織的に
蒐集し、
整理し、
分析し、
意味づけようとした。
大衆の行動様式に注目し
文化の変数ではなく常数に注意し
通時的ではなく同時的な接近法をとりながら
特殊日本的な対象を、非特殊日本的な言葉で、
語ろうとしたのである。
近代日本における伝統的教養の持続性の証人が
露伴であったとすれば、
「常民」の生活形式の持続性のかけ換えのない証人は
柳田国男であった、
と述べる。

第三、文化的対立の創造力への転化。
森鴎外は、西洋の歴史的な挑戦を内面化し、
二つの文化の対立をみずから生きることで、
それを創造力に転化した。
鴎外の言葉でいえば、「二足のわらじ」の
積極的な意味にほかならい、とのこと。
鴎外は、西洋語の散文の正確さと推論の秩序に学びながら、
漢文の語彙と文章法を基礎にして、新しい文学的な散文を完成した。
他方、夏目漱石は市民社会の日常生活のなかに
個人の心理や価値観や個性を描きだして、
人間のあり方一般に及ぼうとする小説の一形式を、
西洋文学に借りて、日本語の小説を完成した。
西田幾太郎は、近代哲学の概念そのものを西洋に学んで、
自己の哲学的思索を一つの体系にまとめようとした。
独特な文体を作り、多義的ではあるが、
高度に抽象的な話題を語りながら、
一種の感情的な反応を読者によびさます。

鴎外、漱石、西田幾太郎の関心の対象が
西洋の制度や技術ではなく、
文学や哲学を通じての西洋の「精神」であった。
吉田松陰から中江兆民までの知識人一世代が
西洋に対した態度とは、著しくちがう。
彼らが日本の「精神」をすなわちその社会と文化の全体を
問題にしていたからである。


「文学」を文芸作品として読むことにしか捉えられていない私に
日本人の精神活動の「文学」を教えてもらえました。





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● COMMENT ●

こんにちは

加藤周一氏の著作は読んだことがないのですが、
なかなか面白いですねー。

私はこの中では一番目の伝統主義の作家を
一番好むものではありますが、
一方で伝統を対象化してとらえようとした人たちがいて、
次いでそれらとの葛藤から自らの精神的な殻を破ろうとする人たちがいる。
うん、どれも心惹かれるものがあります。

自分の場合は何を鏡にして自分を磨いていくのがいいのかな?
なんて考えるのもまた愉しかったり。
これからの時代なんでしょうね。
意外とイスラム文化あたりだったりして(^^;)。

世迷言を長々とすいません。
それではまた。

舞狂小鬼 さんへ

加藤周一氏の著作を読むのはこの本が初めてだったのですが面白かったです。
日本の文化と思想もわかりやすく書かれていて。

たぶんこの時代の作家の方たちも迷いはあったのではないかと思ったりします。
自分を磨くのってどう磨くか迷いつつも愉しいですよね(^^)。


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