2017-04

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上弦の月 - 2013.04.15 Mon

昨日の夜、月を見た。

駅の階段を降りて目の前に

見慣れた夜の空がある。と

思っていた。


暗い湖に浮かぶ弓の形をした舟のよう。

その上にひとつだけ輝く星は、

その舟を見つめる月のよう。


そんな幻を想う4月の夜でした。



「最後の恋 つまり、自分史上最高の恋」 新潮文庫 - 2013.03.23 Sat

この文庫の帯には「こんな男と恋したい。」とある。

著者7人の方々によるアンソロジー。
伊坂幸太郎著の「僕の舟」を読む。

70手前の女性が過去に銀座で出逢った男性との
四日間の逢瀬を想いだす。
夫が入院する病室で。

そしてその男性が今頃どうしているのか
知りたくなって調べることにする。

それがもうここで言葉にするのが
苦しくなるほどのロマンチックなお話なので
ぜひ読んでみて下さい。

「こんな男と恋したい。」


村上春樹の自由 『文学フシギ帖』 池内紀 著から - 2013.02.20 Wed

「村上春樹の自由」と題して
池内紀氏が述べている文章を読んだ。

短編『蛍』
「彼女の目は不自然なくらいすきとおっていた。
彼女がこんなにすきとおった目をしていたなんて
僕はそれまで気づかなかった。
ちょっと不思議な気のする独特な透明感だった。
まるで空を眺めているみたいだ。」

「時々彼女は何の理由もなく、
僕の目をじっとのぞきこんだ。
そのたびに僕は悲しい気持ちになった。」

劇的要素は磨いたガラスのように
拭いとられており、
そしてきれいなガラスを通すように
見えてくるものがある、と。
ひとことでいうと関係であって、
「対」の関係。

静止と動き
こちら側とあちら側
生と死
始まりと終わり

村上春樹が経営していたスナックの
カウンターの内側から見た景色。
アイスピックで氷をわりながら。
話し手ではなく聞き役として。

カウンターから向こうへは手を伸ばせば
すぐに向こう側に届く距離ではあるけれど
やっぱりすんなり届く距離でもなく。

急に「蛍」を読みたくなって
部屋の本棚の奥の方にしまいこんであるのを
読んでみた。久しぶりに。

「蛍が消えてしまったあとでも、
その光の軌跡は僕の中に長く留まっていた。
目を閉じた厚い闇の中を、
そのささやかな光は、
まるで行き場を失った魂のよに、
いつまでもさまよいつづけていた。
僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。
指は何も触れなかった。
その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。」

閉店後、カウンターから出て、
誰もいないしんとした店の中で
テーブルを拭きながら
村上春樹が感じた寂しさと自由さみたいなものを
思ってみた。

ほんの少し先、いつも。ほんの、その距離











『詩と真実』 ちくま哲学の森 筑摩書房 - 2013.02.11 Mon

ちくま哲学の森はシリーズで全8巻出版されている。
この本は第5巻目にあたり
詩と真実と付けられている。
詩も、真実も
書かれている言葉を読むと余計に解からなくなる、
と思うのです。
匂いのようなものを感じ取るのが
良かったりするのかも。
言葉の手触りみたいなもの。
頭で理解しようとすると
離れていってしまうようなもの、
そんなものであったりするのかも。

この本には、感情に訴えかけてくる哲学、
そんな文章が編まれています。
ジャコメッティだったり、
寺田寅彦だったり、
円地文子だったり、
アランだったり
梶井基次郎だったりと
26人の方々の文章。

「詩と真実」の文集を作ります、
そんな目的でお願いしたら、
この方々ならこのように書かれるであろうと。
そんな文章が読めるのです。

その中の一つ。
『間』昭和54年発表
武智鉄二著 大正1~昭和63

間は魔である、
六代目菊五郎の口伝として聞き知っている
と述べられている。
菊五郎は著書『芸』のなかに
彼の師である九代目団十郎の言として、

「踊の間と云うものに二種ある。
教えられる間と教えられない間。
取分け大切なのは教えられない方の間だけれど、
これは天性持って生まれて来るものだ。
教えて出来る間は
間と云う字を書く。
教えても出来ない間は
魔の字を書く。
私は教えて出来る方の間を教えるから、
それから先きの教えようのない魔の方は、
自分の力で索り当てる事が肝腎だ。」

教えられない、とは困る
そこで現代人の意欲が間の研究へと人々を走らせる
らしい。
しかし、
解明できたと、人が信じたとき、
それはもう間ではなくなっているのではないか。
と述べる。
科学的な、または
近代論理の方法で、
掴めるような間は
もう魔ではないのではないか、と。

間ということばの先行概念としては、
建築における間(柱と柱の間)があることは確実で、
この語は源氏物語まで遡ることができる。
畳の寸法における京間、江戸間という用い方が、
間ということばを、
生活感覚に密着させたらしい。

『浄瑠璃秘曲妙』においての間拍子にも
触れられていて、
間と拍子は、足と手に分って考えられている。
対立概念なのである、と。
つまり、心、すなわち劇的葛藤、人間の精神、
その実存がなければ、間拍子は成り立たない。
この、人の心、
精神による時間の破砕・断絶が、
すなわち、間なのである、と。

きまることは歌舞伎の好む劇的効果である。
日本舞踊はきまることを目的に、踊られているように見える。
しかしきまるという間は、日本古来の伝統芸術に
存在したのか。
能がきまるということはない。
狂言も、きまるという所作はなかった。
何かの拍子でそうなると、
師から「いやでございますねえ」と叱られたらしい。
きまるということは、いやなことだったのである、と。

きまることへの反の理念として、間の理念が成立した。
間は、
エキゾチックなもの、
異風なもの、
淫声的なものへの、
民族文化伝統に立つ反省として成立した。
リズムに乗ったり、きまったりすることの
エキゾチジズムへの反省、
間の理念は、日本の芸のための、守らなければならない
最高倫理規定。
間は精神からの使者。
反面、観客の精神を悦楽から現実へひきもどすための使者。
間は様式性の壁をつきやぶる真実の通し矢。
真実を白日下にさらすがゆえに魔でもあった、と。

間は生理が精神の断面にくいこむ瞬間であり、
日本人だけがみつけだした第五次元の世界なのであった、と。


















四つ角のベーグル屋さんの夜 - 2013.01.19 Sat

四つ角の信号の向こう側に
あたたかい灯りがともっている。
いつもは昼間に通りがかって
気が付かなかった夜の灯り。

壁はシンプルで小さな長方形の窓。
お店の中でテーブルを挟んで向かい合って
楽しそうに話している二人の女性を
一枚の絵のように見せている。

信号待ちをしてほんの少し休憩した
心の真ん中に空いた心の空間と
少し離れないと見つけられなかった距離感。
そこに現れたベーグル屋さんの夜の時間。




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